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SFと家族モノとして楽しかった『エイリアン:ロムルス』感想

映画
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2024年9月6日『エイリアン:ロムルス』が日本でも公開され、多くの反響を呼んでいます。

これの何が良いかっていうのは結構議論あると思います。

フェデ・アルバレス監督が作る完璧な緊張感と袋小路に入ったような閉塞感、目を背けたくなる惨劇と絶望?

はたまた、過去作への愛溢れるオマージュや小ネタ描写?

もしくは、リドリー・スコットが製作に入ったこともあり、”本物”に拘って生まれたエイリアンの存在感?

それとも、その手があったかとひざを打つような最強生物との戦法?

もちろんそれらは確実に面白いと感じたポイントでした。

しかし、僕が「あ~~~こりゃ傑作爆誕だわ」と感じたのはSF描写家族モノとしての要素でした

小ネタやらは僕なんかよりも、長年シリーズを愛してきたファンの方がきっとまとめてくださるので、その情報を参考にしてください。

ここでは一切扱いません。

『エイリアン:ロムルス』のネタバレを含みます。

感想

~ここ本題じゃないから飛ばして良いよ~

僕が本作を楽しめた理由は作品以外のところにも存在します。

1つは事前情報、

もう1つは『エイリアン』シリーズへの思い入れです

事前情報

結局のところ劇場で観る映画は期待値次第のような気がします。

事前情報は予告数回(1番最初に出たやつかな?)、『プリシラ』の方が主演、リドリー・スコットが製作に、(床屋さんから聞いた)CGじゃなくてホンモノを貫いているぐらいですね。

事前情報が程よい感じだったんですよね。

期待値が上がりすぎず、熱も冷めすぎずって感じで、ベストコンディションで観れました。

初日にIMAXで観れたのも大きかったかもしれませんね。

『エイリアン』シリーズへの思い入れ

Twitterで「ファンじゃない方が意外と楽しめるかもしれない」といった趣旨の意見をよく見かけました。

それを見た時「一理あるな」とも思いました。

というのも僕自身このシリーズに特別思い入れがあるかといわれるとそうではありません。

KUMA
KUMA

マジで好きな人って熱量と知識スゴイでしょ・・・。あそこまではいかないかな・・・。

もちろんシリーズは全作(AVP含めて)観ています。

2を除けばどれも複数回観ていますし、『エイリアン』は一種の到達点だとすら思っています。

KUMA
KUMA

みんな大好きな2をあんまり観てない理由は色々。

きっかけがなかったり、(子どものころ観たころの)苦手なイメージあったり、Blu-ray持ってなかったりとまぁ色々。

気まぐれで大した理由なんてないよ。

とは言っても先述したように思い入れが強いわけではないので、ある意味フラットな目線で、程よい距離感で楽しめたんだと思います。

ノれなかった方の意見も割と納得できるものばかりでしたね。
「既視感、怖くない、ゲームっぽい」などなど。

地獄のような惑星

開始2~3分で「あ、地獄じゃん」ってわからせる。

汚くて、ボロボロの人で溢れ返し、空気は重く、照度も低い、劣悪で今にも爆発し崩壊してもおかしくない社会、そのギリッギリの所で踏みとどまっている惑星

KUMA
KUMA

2回目観に行って気づいたけど、道端で詐欺?賭け事してるのもそうだけど後ろにずらっと露店が並んでて・・・日本に住んでいると「衛生管理ぃ~~」ってなるね。

強制労働をさせられ、命の保証が皆無であることは節々の会話から推し量ることができる

なんじゃこの嫌な発展の仕方した惑星は・・・。

それに拍車を掛けるような奴隷制度

星から抜けたい
→所定時間労働しな!
→全部終わった!よし!この星ともおさらば!
→「あの~、労働終えました。つきましては・・・」
→受付の人「あ、無理ですね、労働追加されてます」
→☠️☠️☠️

性格が悪すぎる。(笑)

お金を貯めるよりもタチが悪く、会社に生命を管理されている。

1度入れば抜けられない地獄・・・

アナログ感満載

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アナログなSFにはそこからしか得られない栄養素がある

この20~30年で技術的に大きな進歩を遂げたことで、創作の世界も進化しましたよね。

現在のスタンダードからすれば、未来は簡略化・単純化した世界で、デジタル・バーチャル技術が支配する

それに従えば『デューン 砂の惑星 PART2』のように洗練されたSFが正解かもしれません。

しかし今作は古き良きSFを継承していますよね

騒々しくて、物々しい、ガチャガチャしていて、あっちゃこっちゃにボタンやスイッチが多数存在。

ステーションと貨物船の(内装・設備の)対比も最高!

スクリーンもしっかりと実物で昔ながら、カチャカチャ音やピェィー音が最高だったな~。
主張の激しい光に照らされる船内を、もうさヨダレ垂らしながら観ていたよね。🤤

洗練されたものよりもどこか身近に感じれる、だけれどもしっかりスゴイと思える

つまり手に届きそうで届かないそんなSFが今作、そして古き良きSF

KUMA
KUMA

あんまり関係ないけど、重力のオンオフがめっちゃ危険っていう描写すごい好き。

あと自動エイム機能付きのパラスライフル。🔫

震えるSF描写

IMAXで観たからかな、あの貨物船が飛び立つときの轟音を肌で感じて

厚い雲の中の気流と雨を抜けた先には・・・

上に広がる美しい小惑星群、眼下には惑星を覆う暗灰色の雲域、そして眩しく輝く太陽

全米が泣いた・・・。😭

⬆️1回目に観に行った時に震えたシーン⬆️


⬇️2回目観に行った時に震えたシーン⬇️

これはもう確実に冷凍睡眠ポッドの回収シーン

①ポッドがステーションから射出
②慣性の法則で射出時のスピードを維持(のように見える)
③貨物船ジェットを噴射し少し前方に進む(〃)
④カメラを観ながら前後左右上下調整(〃)
⑤完璧に搬入成功

いや、待って!!!これめちゃくちゃ神業テクニックじゃん!!!!

ナヴァロ、1番最初にやられてかわいそうだったけど、あなたの操縦テクニックを拝めて僕は幸せでした~~~~。

宇宙ならではの描写かつ小型貨物船ならではの描写で、船を細かく動かして荷物受け取るのめっちゃ好き。

合成人間

合成人間(アンドロイド)の使い方がべらぼうに上手い

プログラム次第で身体能力は向上するし、知識も知能も向上するし、行動指針も大きく変わる。

そう全てがプログラムに左右される

「レインの利益を優先する」➡️➡️➡️「会社の利益を優先する」へと目的の変更がなされたことで、今まで観客が観てきたもの、キャラ達に見えていたものがひっくり返るという巧みさ

レインの絶対的な味方

何があっても裏切らない

どこかには感情があってレインを姉として慕っている

これがひっくり返る

いやむしろどっちなのか分からなくなる。

冷酷とも捉えられる表情、人間を理解できないと言わんばかりのけげんな顔、見え隠れするアンディの真意、「もしかしたら」と思わせる脚本・演出・演技に僕はコテンパンにやられました。

「アンディ!味方だよね?ねぇ答えてよ!!!なんでそんなことするの???え?それ何???涙なの?僕らの知ってるアンディなの????どっちなんだよ~~~~~~~!!!!!!」って感じでもう内心大騒ぎ。

AIやアンドロイドの怖さってのは”絶対”があること

それをね、まじまじと見せてきたこれはスゴイ映画だ・・・。

だからレインの「Andy, are you there?」ってセリフに胸が締め付けられたんだよっっっ!!!
(研究室のシーン、字幕は「アンディどこに行ったの」かな?)

KUMA
KUMA

シリーズ通して合成人間の使い方が上手いんだけど、これは正直頭一つ抜けてる。


デビッ・ジョンソン本当に良い演技するなぁ

演技の振れ幅はもちろんのこと、アンドロイド特有の無機質さがスゴイ良くて、彼じゃなきゃここまで感情移入できなかった。

しかもミステリアスさもあるというね。ホントすごいよ。

困り顔?不安顔?どちらにしても優勝!!!🏆🏆🏆

「Get away from her. You bitch!」には震えたよね?よね???

アンディ

これは言おうか迷って結局ふせったーで書いちゃったから言うんだけど、

アンディを自閉症と生きている青年として描いていると僕は思いました。

彼は合成人間なのでそんなことはないのですが、どうしても僕はそれがアンディの個性として存在していると思った。

子どもっぽい様子、オドオドと周囲への過敏ともいえる反応、空気や相手の感情を読まずにおやじギャグを炸裂させてしまうところ、そして底抜けに優しくてが凄くそう見えてしまった。

冒頭で子どもにいじめられたり、仲間にいじめられてる時、とてつもなくイライラした。

アンディを自閉症の子として見るとレインとの関係がより一層複雑に思えてくる

つまりレインにきょうだい児としてのキャラクター性が加わります

姉弟

もちろん事実とは異なるので、自閉症を持つ弟ときょうだい児の姉という見方は安直であることは否めません。

しかしこの視点を持てたおかげで、弟を大切に思っているレインの姿に目頭が熱くなるんです。😭😭😭

僕の目に映るレインは、アンディのことを邪魔だとか何とかは思っていなくって、新しい惑星で一緒に生きれないことを言い出せなかったという描写はあれどそれも愛ゆえの行動。

「きょうだい児は不幸」っていう考えが割と広まっているみたいなんだろうけど、それは当人たちにしか分からないことだし、良いことも嫌なこともあるのはどんな家族でもそうじゃないかなって僕は思うんですよ。

レインがアンディをかけがえのない存在として愛している風に描いていることが素晴らしくて、だからこそ変わってしまった弟を助けに戻り、だからこそ最後一緒に旅立つ決断をしたんじゃないかな

それがレインのエゴだとしても美しく感じたの!!!

っていうか最後にレインが「わたしたちの為に」っていう風に指令を変えたことからもエゴって見方は一辺倒かもね

こういう風に観ていると、”アンディ”がプログラムで消えてしまったことが一層辛くなるんだけどね。

1番美しいシーンは
死を悟った姉弟がおやじギャグを言うシーンだよ。😭😭😭😭😭

哲学的な話(余談)

余談なんですけど。

もし明日、家族、恋人、友人、誰でもいいですけど

大切な人が記憶をすべて失くして一生戻ることがないとしたら?
大切な人が事故に遭い、脳だけを機械の体(別の体)に移植されたら?
大切な人と別の人間との人格が入れ替わったら?
大切な人が記憶を持たずにクローン技術で蘇ったら?

それはあなたにとっての大切な人ですか?それとも違う人ですか?

って哲学的なことを考えたくなった映画でした。

今回のアンディが記憶はそのままに人格が変わるという描かれ方をしていました。

何がその人をその人たらしめるんでしょうか。

おわりに

書き終わってみればエイリアンについて一切触れないとんでもない記事ができてしまいました。

裏を返せば、そこに触れなくても語れてしまう本作は僕の中で大傑作だったわけですね。

みなさんは本作を観てどのように感じましたか。

アンディに関するコメント、もちろんそのほかのコメントもお待ちしています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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