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上手く咀嚼できなかった映画『ぼくのお日さま』感想

映画
© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会 / COMME DES CINÉMAS

9月13日に全国公開された奥山大史監督作品の『ぼくのお日さま』。

カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品されたことでも注目されている作品です。

先日観てきたのですが、上手く咀嚼できなかったので思いの丈を書いていきます。

いやね、僕も面白いな~良いな~って思う瞬間は確実にあったわけですよ。
でもなぜだが上手く咀嚼ができず、映画として面白かったのか分からなくなりました。

なので今回は感想を書き出してみることでモヤモヤの原因が分かったり、なんなら解消に繋がるかもしれない。そのわずかな希望にすがりたいと思います。

作品概要

あらすじ

ある雪国で野球クラブに所属する吃音症のタクヤ。そのクラブでは冬季にアイスホッケーを行うのだが、ある日スケート場にいたスケート少女さくらに一目惚れする。

見よう見まねで彼女の真似をしている姿を見たスケートコーチの荒川は彼にスケートを教え始める。

キャスト

荒川:池松 壮亮
タクヤ:越山 敬達
さくら:中西 希亜良
五十嵐:若葉 竜也
コウセイ:潤 浩
三上真歩:山田 真歩

感想

先にシンプルな感想(よかった点)をチャチャチャっと書いて、後半でモヤモヤした点を何とか言葉にしてみます。

多幸感あふれるスポーツ映画

前半は確実にスポーツ映画の様相を呈していました。

しかし、そこにたぎるようなアツさはなく妙な落ち着きのある異質なスポーツ映画という印象を受けます

先生と生徒の間に絆が生まれるとともにスケートも上達していく。

タクヤと荒川の笑顔が増えていき、映像の温かさと音楽の優しさがその様子を何倍にも美しく尊いものに進化させ、観客を幸せな空気で包みます。

そこにさくらが加わり幸せな空気がさらに濃厚になっていきます。

はじめはぎこちなかったものの次第に3人が一体感を持つようになり、その姿に胸がどんどん高鳴っていきひとつのハーモニーを生み出します。

KUMA
KUMA

ステップ踏みながらカップ麺啜るシーンが良すぎるのなんの・・・。🍜

タクヤは野球をしてもアイスホッケーをしても見せることがなかった顔をスケートを通して見せるようになります

体感では異質さがありますが、いざ振り返るとスポーツ映画における王道の要素は十分満たしている、異質でも何でもない正真正銘のスポーツ映画です

モンタージュ

前半は幸せなシーンで埋め尽くされていましたがなんといっても湖のモンタージュは外せません

あのシーン観るために何度でもこの映画を観ることが確定。アリャシタ🙇‍♂️

© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会 / COMME DES CINÉMAS

ひたすらに幸せで楽しくて、それでいて美しくて・・・。

言葉で説明するのすら無粋なほど気持ちのいいモンタージュでした。

3人の笑顔が偽物なはずがあろうか。いやない(反語炸裂🎆)

KUMA
KUMA

モンタージュ大好き人間(過激派)なので最高でした。

「憧れ」の三角関係

3人の関係性、互いのベクトルの向き方に「憧れ」が存在しているところに面白さを感じました

  • タクヤ➡️➡️➡️➡️➡️さくら
  • 荒川➡️➡️➡️➡️➡️タクヤ
  • さくら➡️➡️➡️➡️➡️荒川

こんな感じで三角関係が成立していて、
公式サイトや宣伝では小さな恋として紹介しているのですが、この3つ全てを恋とするのは難しくありやしませんか????

KUMA
KUMA

「憧れ」と恋愛感情の違いは?って聞かれたら困るけど、憧れてる人には完璧、理想を求めるんじゃいかな。
2つが同時に生じることはあるのかもだけど僕はそんなことないからわかんない。だから今作の咀嚼が難しい。

そもそも「憧れ」と恋愛感情って似て非なるものって思ってたんだけど違うのかな?

タクヤ➡️さくらの場合

これは恋だなと思ったんですけど、それが不確かなものだと感じました

まずスケートをする姿に一目惚れするシーン、余談ですけどこのシーンめちゃくちゃ素敵でどっぷりタクヤの見えてる景色の美しさと彼に走った衝撃がよく分かる。

話を戻すと一目惚れだなと思ったんですけど、好きという感情がそれ以降見て取れなくて、もしかしたらスケートに惚れこんだのか・・・?とも頭をよぎりました。

でもこれがこの映画の面白くて難しいかったところで、吃音症のタクヤが自分の感情を言葉で伝えるのにどうしてもすんなりいかないのでその描写がないこと自体は当然かなと思います。

さくらが大会(選考会?)をドタキャンした際の「やっぱり嫌だったのかな?」というセリフは、心のどこかに不安が在ったことを表していると思います。

タクヤにとって対人関係はハードルの高いものということがよく分かります
タクヤの(スケートを楽しんでいること以外の)感情がよく分からないので全体として咀嚼が難しく、それが恋なのか怪しい

荒川➡️タクヤの場合

これは100000000%「憧れ」(羨望)の感情です

最初はスケートに夢中になる姿がただ目についただけかと思いました。

ただ終盤になるとなぜタクヤを教えることになったのか明かされて「はは~~ん」となりました。(分かってないけど分かったふり)

「真っ直ぐな恋心。嘘偽りのない純粋さに憧れた。」わけですね。

東京から逃げた理由もここに繋がるような気もしますし、自身の経験と比較したときに何のしがらみもなく心に従うタクヤの姿に憧れたんじゃないんでしょうかね。

そこには恋愛感情は皆無なわけです。

だよね????????一切感じなかったんだけど????

さくら➡️荒川の場合

これは恋じゃなくて、身近な年上に感じる憧れじゃないの?
それともやっぱり恋?
2つの感情が混ざり合ったもの?

僕は終始さくらの感情を「憧れ」とみなしてたんですけど、「憧れ」ではあのセリフの意味が分かんなくて頭がパンクですわ・・・。🤯🤯🤯🤯🤯

荒川がタクヤに夢中になると、さくらのパフォーマンスには見向きもしなくなり、それにどこか淋しそうな表情のさくらが印象的でした。

アイスダンスの打診を受けた時も、ちょっと嫌そうでなんなら軽く嫌がらせもしてますし、これは嫉妬なのかな?

湖からの帰り道で「・・・・・さくらのおかげ」という言葉を掛けられ、さくらは荒川に認められたって感じたと受け取っていいと思います。

憧れの人もしくは好きな先生に認められたと思った後、その人が男性と仲睦まじくしている姿を目撃しショックを受けます。
そして「タクヤ君が好きなの?男の子にスケートやらせて楽しんでたの?気持ち悪い・・・」と言い放って

は???

「気持ち悪い」

なんであんな攻撃をしたのか理解に苦しむ

「憧れ」の人が同性愛者で、小学生のタクヤに恋愛感情を抱いていたからと思ったから?

例えば、Aさん(女性)は男性を好きだとする。そんなAさんはすべての男性が恋愛対象になるかといえばそんなわけない。

「憧れ」の人が見ていたのは自分ではなくタクヤだったことに嫉妬したから?怒り狂ってあんな言葉をぶつけたの?

それはあり得んでしょってことでじゃあさくらの感情は恋愛感情になっちゃうのか

好きな人が同性愛者で、以下同分。

僕は頑固なので「えええ???さくらの気持ちは恋愛なの?しっくりこない。」って拗ねちゃうわけなんですけど、なんかね誰の物語を描きたいのかよく分かんないんですよね。←シンプル文句

さくらの感情が読めなくてツライ・・・

2つのシーン

とある2つのシーン(正確には3つ)が何かのメタファーっぽいんですけど、それがなんなのか理解できない。
というより自分の中で出した答えにしっくりこなくて・・・。

2つのスケートシーン

中盤タクヤとさくらがアイスダンスを披露するシーン、ラストのさくら1人のスケートシーン
この2つは画面から伝わる感情が正反対で面白い

前者は窓から入る光が暖色系でシーンを通して美しくも温かいシーン。

後者は美しいとはいえどこか淋しく無感情で、窓から入る光も寒色系となっている。

3人で一緒にスケートをするべきだと言わんとしているようにも感じるけど、その時間が否応なく素晴らしいものだったと分からせに来てる感じがして嫌いじゃない。

このシーンをさくらの心情描写として捉えればしっくりくるんですけど、さくらの感情が最小限過ぎてそうとも言えないんですよね。

キャッチボール

終盤、荒川と再会するタクヤのシーン

まぁなんかそれなりに「どっかいくの?」とか「スケート靴あげるよ」とか会話するんですけど、本当に言いたいことは言わない感じ。

僕友人に吃音症の人がいて、僕がガーっと喋る人間だから話に句点(。)が付くまで遮らないように努めているんだけど、すっごくコミュニケーションをとるのが難しいなと思うのね。
本人は何も言わないし、こっちも聞けないしさなんか正しい接し方が分かんないんだけどね。
感情もあんまし表に出ないから、たまに分かりやすく喜怒哀楽が出てくる時は、他の人のそれより凄くうれしく感じる。

僕と友人の間には言葉しかないけど、タクヤと荒川の間にはスケートとキャッチボールも会話のカタチとしてあるのかなって思えるシーンですごく良いんだけど、これも希望的観測に過ぎない。

如何せん、タクヤの描写も割と少なくてキャラクターの理解に苦しむっていうのが本音。

何も変わらない

上手く咀嚼できなかった要因のひとつに結末の肩透かし感があります

恋が実るわけでもなく、
スケートで目標を達成するわけでもなく、
かけがえのない人間関係を構築できたわけでもなく、
吃音が良化するわけでもなく、
引っ込み思案だったタクヤが変わったわけでもなく、
同性愛が認められたわけでもなく、
恋人とその土地に残ることを選んだわけでもない。

冬が明け春が訪れたように、映画の冒頭とは色々なことが変化しました
しかし雪が消え去るように何も残っていないように思える結末だったと感じました

どう受け取っていいのか非常に困る結末です。

吃音症の生きづらさ?吃音症の少年が見出したしがらみのない世界?永遠には続かない青春?「憧れ」と恋愛の違い?スケートの素晴らしさ?自分の心に従って恋愛することの難しさ?同性愛者への偏見?

一体何を伝えようとしたのか???

「ただ物語を描いただけで、メッセージなどない!」だとしても良いんですが、自分なりに「伝えたかったこと」に関して決着をつけたい作品です。

受け取り方に困る結末なんですが、
それについて試行錯誤する時間は幸せですし、「理解したい!」と思わせてしまうような魅力のある映画です。

確実にこれは映画としての良さですよね。

KUMA
KUMA

上に挙げたやつはどれもしっくりこない。

おわりに

荒川の視点と同じくらいタクヤとさくらの視点があればもう少し作品が理解できたように思える。

エンディングも吃音というものを歌っているのに、タクヤの描写は明らかに少ないような。

そこが非キャラ主導的で、作品の温かい雰囲気で物語を推し進めるように感じたのかもしれないです

以上モヤモヤしたところを書いてみましたが、あんまりまとまってないですね。

良い映画だと思ったのに、ズドンっと来なかった理由が知りたかったんで一応今回この映画について書いてみました。

まぁ作品を何度も観るしかないですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

「ここは○○だと思った」などのコメントお待ちしております。

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